感情が無になる

突然感情が「無」にあることがある。

 

本当は突然でもなんでもなくて実は原因も予兆もあるのだけれど、それを見ていなかったようなふりをするのだ。

 

 

私は10日間の夏休みを会社からもらっていた。

東京オリンピックに合わせた8月頭の長期休暇。

オリンピックは始まらなかったし、伝染病が流行ったし、そのため旅行の計画も立てられず、何よりお盆時期じゃないことで誰とも予定が合わない。

 

でも友達誰かに連絡を取れば土日や前日くらいは合わせてもらえたのかもしれないし、羅列したことははっきり言えばただの「やらないための言い訳」だ。

 

おそらくそれが原因だった。

 

休みの最終日の土日に、一緒に住んでいた恋人が「友達」と旅行に行くんだと話してくれた。

1泊2日のすぐ近くの温泉観光地。

ああ、そうか。旅行もいけないね、と言っていたのに。でもこいつはほかのやつとならいくのか。しかも複数人でしょ?私を差し置いて?

 

おそらくそれ(その感情)が予兆だった。

 

海へ行くから水着をもていかなくちゃ、と朝に彼が言う。

私は彼の水着姿を見たことがない。

そもそも一緒に海に行ったことなんてない。

本当にささいなことで腹が立った。

 

これは自分を客観視して考えると、恋人が遊びに出かけることへの嫉妬だけではないことは自分でもわかっていた。

 

第一にもし、仮に、一緒にいくかと誘われたところで実際私は断ったと思う。

海に行くのもだ。最近体重計がたたき出した数字が頭から離れた瞬間がなかったし、体系も満足に人前に出せるものじゃない。

まあ、それも「やらないための言い訳」なのだけれど。

そんなことを考えずにただお気楽に遊びに行くその態度がうらやましくもあり、同時に自分に腹が立ったのだ。

みじめな気持ちになることに目をつぶれば大体のことはクリアできる。

頭ではわかっている。ただ、無理をする理由が見つからない。

 

第二に、なぜ私にそういったいわゆる思い出じみたことを提案してこないのだろうという不満があったように思う。

だいたい、特別扱いをしてもらいたいから私はこの人と恋人関係になったのだ。

それなんだ。今年の6月の誕生日には時期が悪いからと外出もせず、プレゼントもなく、ただのステイホームで終わってしまった。

家にいたことは仕方がない。そうせざるを得なかったのだから。

ついでに言うとクリスマスプレゼントももらっていない。

去年の誕生日はもらったが、1年なにも受け取っていないのだ。

 

ここで、他の誰かの境遇と比べるのはお門違いだ。

これは私が感じたことなのだから。

 

恋人は(おそらく)何も悪くない。

私は口数を少なくして本を読んでいた時に、その態度の理由を探ろうとしてきたが、彼が対処すべき問題は無いように思えたし、そのように答えた。

全て私の中の問題なのだから。

 

大人になろう、とふと考えたが大人の定義とは感情をコントロールできる人なのだろうかと思えば、それは違うのではないかとも思える。

人は、「自分がこうであるべきだ」という意味で大人になるという言葉をよく使う。

でもこうであるべき、とは誰に対してなのだろう。

自分?相手?恋人?上司?

そうやってMUST BEやHAVE TO 等でしばりつけることが最もストレスではないのか?

 

そう考えると、たまに突然「無」になることは別に悪いことではないと思う。

自分が感じているのだから。

 

ただ、解決(軽減)策を用意しておくことももちろん大事で、私の場合はつまるところコミュニケーション不足からの不調だ。

むやみに出会いの場に行くことが解決方法というわけではなく、不満と思ったことを理解してもらいたい相手にきちんと伝える、という方法が何よりいちばん大事ということだ。

本当に当たり前で簡単なことが、長く生きていくごとに億劫で困難になってくる。

 

無意識に子供のころの自分の行動が懐かしくうらやましくなることが多々ある。

しかし、子供のころにできていて、なぜ「大人」である今できないのか。

 

第三に、最もな真実で今の自分をあまり好きではないというものがある。

つまり自分の良いところがわからず、周りに良さをプレゼンする能力がなくなっているのだ。

そして自分を好きになれていないのに、他人を好きになる余裕が生まれるはずもない。

 

 

まず私が本気で取り組んだほうが良いのはダイエットなのかもしれない。

そうすれば自分に自信が付き、人への接し方も変わり、余計な感情も生まれにくくなる。

 

 

手始めに食事管理と筋トレとを始めてみる。